四月の風はまだ冷たく、夕暮れが近づくと台所の足元からじんわりと冷えが這い上がってくる。そんな日の昼下がり、車で弥生通りを走っていた。私にとって、生活の動線として馴染み深いこの通り沿いに、その店はある。
いつもなら駐車場の枠から溢れんばかりの車列ができているのだが、平日のこの時間はぽっかりと隙間が空いている日があるのだ。そんな静かな巡り合わせに背中を押され、ふらりと暖簾をくぐることにした。
席に着き、お品書きをゆっくりと眺める。ロースとバラ、そしてヒレの中から自分の好きな部位を選ぶシステムだ。以前、道外から来た友人にこの仕組みを話したとき、「肉の種類を選べるの」とずいぶん驚かれたことを思い出す。
お膳の端にちょこんと置かれる、小さなタレの壺もそうだ。自分好みに味を足していくという、わたしたちにはすっかり見慣れたこの光景。よそから見れば決して当たり前のものではないと、そのとき初めて気がついたのである。
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この場所がかつて、街の小さな精肉店だったという歴史は伊達ではない。絶え間なく人が訪れる厨房の奥では、今でも一枚一枚、手作業で肉が切り出されているという。包丁の先でわずかな筋を見極め、丁寧に取り除いていくのだ。
効率を優先すれば、機械で一気に切ることもできるだろう。けれど、あえて手間のかかる手仕事のぬくもりを残すことこそが、この一杯の根底を静かに支えている。
丼の蓋をそっと外すと、ふわりと立ち上る湯気とともに、香ばしく甘い醤油の匂いが鼻をかすめる。昔はバラの濃厚な脂に惹かれていたけれど、何度目かにふとヒレを選んでから、そのきめ細やかな質感に魅了されるようになった。

脂身が少ないはずのその肉を箸で持ち上げ、ゆっくりと口に運ぶ。歯を立てると、かすかな弾力のあとに、スッと心地よく繊維が断ち切れるのだ。そこへ、半世紀以上受け継がれてきたという秘伝のタレが、肉の純粋な旨みを引き立ててくれる。
春の雪解け水が乾いた土に染み込むように、琥珀色のタレが白いご飯の隙間を満たしていく。自分のためだけに注ぎ足す、小さな壺に入ったタレ。それをひと回しかけるとき、満たされるのは空腹だけではないのだろう。
効率ばかりが求められる日々のなかで、非効率を愛するような手仕事がここにある。そのささやかなひと手間が、せわしなく過ぎていく日常の輪郭を、穏やかに整えてくれるような気がする。
